大村はま先生との思い出を綴ったエッセイ①  by 早川哲雄

▲コーヒーカップとぬいぐるみは、大村はま先生が長年愛用していた品。形見分けにいただいて大切にしている。

 

「ノート」

 

夜、校舎の中を歩くのはあまり気持ちのいいものではない。けれど巨大な校舎の隅々まで神経のゆきわたるような"感"が職業的につくようにもなる。石川台中学校に学校警備の仕事で勤めたころは校舎がちょうど建て替えられていた。やがて真新しい校舎が完成した。新しくてもやはり広い校舎の中を歩くのはいい気がしない。

 

深夜、図書室に「ちょっと変かな?」と感じて入った。図書室の中は何事もなくていつものように片付いていた。テーブルの上には生徒たちのノートのようなものがたくさん積まれてあった。その一番上のノートを何気なく取り上げて読み始めて、わたしは動けなくなってしまった。 二冊目、三冊目と目を通した。5冊目も6冊目も読んだ。どれもすばらしいノートだった。


打ちのめされたような気がした。ぼくはこういう教育を受けていないと思った。私の受けた国語というのはただ教科書を読まされたり、文章の感想を書かされたり、解説を読まされたり、文法の暗記をすればすむものだった。そこにあるのはほとんど初めて見るような国語の教育の場面だった。

 

この先生に教わったならば恐らく、ぼくはもっと人間が変わっていたかもしれないという衝撃があった。今もそう思ったことを突飛であったとは思わない。どのように読んでどのように書いたら、文章もまとまるし考えも深まるし、遠く深く理解を持つことができると、思考や科学の方法について、人間としての成長について、中学生のそのノートは語っていた。私はそこにいない教師の凄さに圧倒された。 石川台の生徒たちがうらやましく思えて、田舎から出て行って司法試験の受講生であるという自分の内心にブレーキがかかるように感じた。遠く過ぎ去った子供の頃の、学校のある科目の、もう時間の幕の降りてしまった事柄とは思えなかった。


「トークショー」

 

平成3年のクリスマスに音楽とお話の会というのを計画した。いつもやっている小さなコンサートに、はま先生の短いお話をジョイントした企画だった。「話をする人」がいて「オーボエを聞かせてくれる人」がいて、すべて終わった後で「あれは何だったのだろう」と考えてみる。「トークショーだったんですよ」とはま先生。なるほどトークショーかと興行主が納得する。何だか自分たちでもわけが分からなく、とにもかくにも先生の"声"を私の友達や私の周りの人達に聞かせたかったし、その言葉の世界に出合わせたかった。深く考え抜いてやったことではない。

 

ただ国語だの教師だのではなく、こんなガサガサした時代の、ゆとりも落ち着きも見通しもない日本に、「でもこんな素晴らしい人はいるぞ」と、その人を合わせたかったし見せたかった。先生の話の底に流れるもの、心の輝きの片鱗なりとも人に伝えられるのなら、何でもよかった。およそ5分位のはま先生のお話があって、その話の後にオーボエの演奏が入る。これを前半2回後半3回繰り返した。原稿を用意していても、先生の話の持って行きようは誰にもみえない。その話に合わせて、オーボエ奏者は演奏の曲目をその場で決定し、即興で始める。曲が終わると先生がまたお話を始める。

 

先生の話は、音楽で生まれた雰囲気をまた別の雰囲気へ変えていく。先生も用意した原稿の中でどれを話すかを舞台の上で決めている。演奏と講演のライブすべてが即興、アドリブの連続であった。小さな幼児から高齢の聞き手まで、身じろぎひとつしない2時間は圧巻であった。 


 その時のことを人々は今でも言う。「あれは何だったんでしょう」「とても不思議な人でしたね」と。次の年にも同じことをもう一度やった。最初にやった時の至らなさをもう二度とくりかえさぬようにと思いつめての二度目であったが、不手際は同じようにあって、にもかかわらず、人々の心の中に、はま先生の思い出は強烈に焼きついている。

 

稼いだテラ銭は1万円札から1円玉までテーブルの上に並べてみんなで勘定した。道央自動車道の砂川オアシスで。それをきっちり二等分して札響の岩崎弘昌氏とはま先生にお渡しした。先生はニコニコしながらそのお札を受け取った。「そおー」っていいながら。でもJRの〝北斗〟で個室を取って帰京する額にははるかに足りなかった。

 

 私たちは先生の生き方に感動している。仕事に取り組む姿勢に心うたれている。長い不屈の歩みに励まされている。国語を教わることはできなかったが、生きる姿勢を見習うことはどんなに遠くにいてもできる。僕は法律をやめ、素子さんが蕪村研究から遠ざかって天然酵母と無添加のパンの店を始めた時には、目も眩むような宇宙曠野を果てもなくさまようような旅立ちだった。来る日も来る日も20時間に及ぶ労働を繰り返す。


そんな日が、何日、何か月続いたのか。ほとんど消耗し切って家に帰って、先生から贈られた全集の中から、何か1冊を取り出して読む。そこにはどこを開いてもはま先生のいつもの変わらぬ姿があった。

先生はいつも変わらない。まっすぐ生きているから変わる必要がない。そこには人の疲れや傷ついた心を癒してくれるやさしさがある。私たちはあの全集をそんな風に読んで、遠い曠野を越えてきた。先生の生き方をパン作りの中で体現するということが私たちのテーマだった。夫婦二人で同じ憧れをもって先生を見つめている姿は、どこか今流行の宗教に似ていなくも無いが、〝癒し〟のよってくるところを見ていると、とてもしなやかに自立した自我が聖女のように微笑んでいるように思える。