NORDESSEN

ノルトエッセン FAN  CLUB

 

●2009年9月24日 北海道放送HBC「Hana*テレビ」中継(前編)お店のロケーション、店内の様子がわかりやすく紹介されています。

●第1回ノルトエッセンコンサートでは、店主のハーモニカ演奏も。

 

●北海道放送HBC「Hana*テレビ」中継(後編)

 

 


日本の国語教育の第一人者として活躍した故大村はまさん(2005年没)の随筆で、

ノルトエッセンは「心のパン屋さん」と紹介されています。

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心のパン屋さん本文_0001.pdf
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▲大村はま先生と

早川哲雄・素子夫妻。



  大村はま先生との思い出を綴ったエッセイ  by 早川哲雄

▲コーヒーカップとぬいぐるみは、大村はま先生が長年愛用していた品。形見分けにいただいて大切にしている。

 

「ノート」

 

 夜、校舎の中を歩くのはあまり気持ちのいいものではない。けれど巨大な校舎の隅々まで神経のゆきわたるような「感」が職業的につくようにもなる。石川台中学校に学校警備の仕事で勤めたころは校舎がちょうど建て替えられていた。やがて真新しい校舎が完成した。新しくてもやはり広い校舎の中を歩くのはいい気がしない。

 

深夜、図書室に「ちょっと変かな?」と感じて入った。図書室の中は何事もなくていつものように片付いていた。テーブルの上には生徒たちのノートのようなものがたくさん積まれてあった。その一番上のノートを何気なく取り上げて読み始めて、わたしは動けなくなってしまった。 二冊目、三冊目と目を通した。5冊目も6冊目も読んだ。どれもすばらしいノートだった。


打ちのめされたような気がした。ぼくはこういう教育を受けていないと思った。私の受けた国語というのはただ教科書を読まされたり、文章の感想を書かされたり、解説を読まされたり、文法の暗記をすればすむものだった。そこにあるのはほとんど初めて見るような国語の教育の場面だった。

 

この先生に教わったならば恐らく、ぼくはもっと人間が変わっていたかもしれないという衝撃があった。今もそう思ったことを突飛であったとは思わない。どのように読んでどのように書いたら、文章もまとまるし考えも深まるし、遠く深く理解を持つことができると、思考や科学の方法について、人間としての成長について、中学生のそのノートは語っていた。私はそこにいない教師の凄さに圧倒された。 石川台の生徒たちがうらやましく思えて、田舎から出て行って司法試験の受講生であるという自分の内心にブレーキがかかるように感じた。遠く過ぎ去った子供の頃の、学校のある科目の、もう時間の幕の降りてしまった事柄とは思えなかった。



「トップ」

 

 自由が丘駅の〝トップ〟という店で食事をすることになった。はま先生がご馳走してくれることになったのだが、「僕一人ではいやだといったんだ」と言うと、「でどうしたの」「奥様もご一緒でいいのよって言ってたよ」。素子さんはもうあきれを通り越して情けないというか、恥ずかしいというか。うん、今考えてみると一度も会ったこともない人に食事に招待してもらうってのは、ちょっと無茶だったか。

 

 でも私は、兎も角会わせなくちゃ話にならないと思ったから、先生のサイフの事情や素子さんの体面については考えなかった。でもおかげで素子さんも〝トップ〟のフランス料理を思いっきり楽しむことができた。素子さんはまだ学生だったし、二人とってもフランス料理を食べる機会など、そんなになかった頃だと思う。「きちんとしたお店よ」って言ったら、あのとき早川さんは「背広を着て来たんですよ」とはま先生は言う。毎日セーターやTシャツで暮らしていたに違いない。

 

  後年、渋谷のデパートでパンを売ることになった折、素子さんの前に〝トップ〟のケーキと惣菜の売り場があったという。その時、彼女の心の中には、はま先生と出会った「横浜」と「自由が丘」と「成城」の時代がセピア色のフィルムのように流れて行ったに違いないと、あの催事に行かなかった僕は思うのだ。